書評ブログ

日々の読書の記録と書評

坑夫(夏目漱石)

許嫁がいるにも関わらず、その妹と恋愛関係に陥りそうになったことに苦に家出した主人公。丸一日歩いていると、ポン引きに儲かる働き口が在ると誘われ、ついて行った先は銅山だった。

銅山の街は都市から隔絶され、独特の習慣や風俗が広がる空間だった*1。また新入りの主人公をいじめる荒くれ者やひねくれ者の坑夫もいれば、早く帰ったほうが良いと諄々と諭す坑夫もいた。事情があって坑夫になった者も多かった。また、過酷な坑道の見学で体力を極限まで使い果たし、精神が生と死の間で両極端に振れるような体験もした。そんな異空間での体験と心の動きが、刺激的な表現(昔の小説でなければとても出版できない)を交えながら、微に入り際を穿つように語られる

結局、誰から見ても坑夫は勤まりそうにない主人公は、健康診断で病気を「発見」される。医者も、一目見て、経歴も確認してこいつには坑夫は無理と思い、診察するふりをして引導を渡したのだろう。

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*1:葬式をジャンボーという辺り、北関東から福島県周辺だろう。足尾か日立か?当時は足尾銅山事件の余波でこの小説もセンセーショナルな受け止め方をされたことだろう。

彼岸過迄(夏目漱石)

漱石の言い訳めいた能書きから始まる。大病直後無理を避けて元旦まで執筆をやめていただの、1月から彼岸までに新聞連載を終わらせるつもりだから安直に彼岸過迄というタイトルにしただの。

大学は出たけどプー。誇大な冒険を妄想するばかりで就職活動も飽きて止めた山師的な敬太郎が周囲の人々の内面深くに立ち入ってゆく。

最初は駅員だがアウトドア派の森本の冒険談に魅せられながら、振り回される。明るい話はここまでで、この後はどんどん暗く深い人間の内面にはまって行く。

その後、就職活動のために友人須永の叔父を訪ねるところから、須永と、もう一人の叔父の松本、いとこの千代子たちの内面の傷やエゴに触れてゆくようになる。

須永と千代子の間の陰にこもった恋慕・強烈な嫉妬・歩み寄れない誤解、そして背景にある須永の出生の事情が、これでもかというほどネチネチネチネチと一分の隙もない緻密さで展開される。そして、キレた千代子と須永の修羅場は、明治時代でもこんなことがあったんだと思うほど千代子がストレート。

何人もの登場人物が語る物語が緩やかな関係を持ちながらオムニバス風に積み重ねられる形式。昔の小説だと思って読んでいると、おっ、という意外な印象を受けた。

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文鳥(夏目漱石)

漱石鈴木三重吉にそそのかされて文鳥を飼った一部始終を描いた短編。

最初はせっせと世話をしながら忙しい執筆活動の癒やしにするのだが、だんだん世話に飽きるというお決まりのパターンがリアル。そして、文鳥の姿の描写がとても細やかで感心する。

やっぱり、動物は他人にそそのかされて飼うのではなくて、自分の意志で最後まで責任を持つ覚悟を持って飼い始めないといけませんな。

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薤露行(夏目漱石)

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※薤露行収録

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※薤露行収録

「かいろこう」と読む。

薤とはらっきょうのことで、薤の葉の上に置いた露は消えやすいところから、人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙を薤露という。転じて、葬送のときに歌う挽歌の意味もあるという。

そこで薤露行だが、アーサー王物語の一部をなす、騎士ランスロットをめぐる女達の恋を漱石流に小説化したものである。

【以下、ネタバレ注意】

アーサー王配下の騎士ランスロットは、王妃ギニヴィアと不倫関係にあった。
ある日、アーサー王国の騎士たちの試合で、王と騎士たちが宮殿を空にする間にランスロットは宮殿を訪ねる。ランスロットは仮病で試合を欠席し、この機会に密会しようとしたのだった。しかし、関係が噂になり始めたことを気にするギニヴィアに説得され、遅ればせながら試合のある北方へと向かう。

北方に向かう途中ランスロットは一泊する。宿屋の娘エレーンはランスロットに恋をする。エレーンは深夜ランスロットの寝室を訪ね、愛の印として自らの赤い服の袖を渡し身に付けるよう頼む。変装して身分を隠して試合に出ようとしてたランスロットはその思惑を含みながら承知する。

ランスロットは試合で負傷し、ギニヴィアはアーサー王から、エレーンは同じく試合に出ていた兄からその様子を聞かされる。同時に、ランスロットが他の女に心惹かれていたことを示唆する出来事も。未だ戻らぬランスロットを案じつつ、二人の女は対照的な反応を示す。ギニヴィアは夫の前であるにもかかわらず嫉妬を抑えられない。一方で、エレーンは絶望して食を断ち自死する。

エレーンの亡骸は、本人の生前の希望で多数の花、そしてランスロットへの手紙とともに舟に乗せられて川を下る。舟が宮殿に着き、宮殿は騒ぎになる。そしてギニヴィアがエレーンの手から手紙を取って読む。ギニヴィアはランスロットが試合で身につけていた赤い袖の持ち主がエレーンであることを知り、涙するのだった。

【ネタバレ注意ここまで】

原作ではランスロットは多くの女性と関わりができるのだが、この小説ではエレーンの悲恋の物語にスポットが当たり、ギニヴィアはエレーンとの好対照をなす引き立て役の感が強い。それは、薤露行(はかなさ・死を悼む涙)というタイトルに、そしてランスロットの負傷や騎士たちに不倫を告発されたギニヴィアの顛末に触れられていないところに現れている。

原作ではランスロットやギニヴィアのその後も描かれており、むしろギニヴィアの不倫が物語を動かしてゆく。漱石は、独自の世界観によって薤露行を書いたのだ。

夢十夜(夏目漱石)

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「こんな夢を見た」で始まる短い夢語り10編。日常生活の延長線上にある夢、少し幻想的な夢、さまざま。僭越ながら各編にタイトルをつけるとこんなところ。

第一夜 死んだ女を100年待つ

第二夜 侍の悟り

第三夜 100年前の秘密

第四夜 東京の笛吹き爺さん

第五夜 天探女

第六夜 明治に来た運慶

第七夜 死ぬほど退屈

第八夜 床屋の日常

第九夜 むなしいお百度

第十夜 豚は崖から落とせ

三四郎(夏目漱石)

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熊本から上京して東大に入学した三四郎が、学問に、交友に、恋愛に、学生生活を謳歌する青春グラフィティ(2/3は恋愛譚だが)。

東大に入学することになった三四郎は、暑い盛りに電車で上京する*1。道中、車中で出逢った女性との(ある意味残念な)一夜や、文明論をぶつオッサンの毒気に当てられたりと、入学前から「洗礼」を受ける*2

入学後、バンカラで自由奔放な同級生小次郎や、風変わりな文学評論家で一高教師の広田、地下の研究室にこもっては日夜光圧を測定するこれまた変わり者の物理学者野々宮とその妹達と出会い、交流を深めてゆく。

そして、大学構内の池にたたずむ美禰子に一目惚れし、次第に振り回されるようになる。まあ、三四郎が晩稲だったのが幸いで、深入りしなくてよかったねと思うが。

また、明治時代の大学や大学生の雰囲気が垣間見え興味深い。日本の大学の黎明期で大学進学率が1%にも満たない時代の貴重な記録ともいえる。

*1:当時の大学は9月入学だったことがわかる

*2:この洗礼はもちろん入学後の三四郎の軌跡を仄めかす伏線である。

こころ(夏目漱石)

高校の教科書にも載っている小説。教科書は後半の1/3に当たる「先生」の遺書が中心で、「先生」と「私」の出会いや「私」の家族の話は大半がカットされている。

大学在学中の「私」は、鎌倉のビーチでだいぶ年上の「先生」と出会う。先生というが無職であり、遺産があるせいかそれでも生活できている。学者肌のインテリ振りが「私」に尊敬の念をかき立てる一方、時折見せる厭世的でシニカルな言動や、親友の月命日にせっせと墓参りする行動が「私」の好奇心を刺激していた。

ちょうど「私」が大学を卒業する頃父親の持病が悪化し帰郷する。父親が衰弱しいよいよという頃、先生から自殺をほのめかす手紙を受け取り、「私」は東京行きの列車に飛び乗る。

今時、大学生と無職のインテリ中年が出会い、これほど親しくなるシチュエーションはなかなか考えにくい。何しろ、先生の手紙で親の死に目を放り出してまで帰京するのである(たとえそれが先生の自殺をほのめかす内容であったとしても)。この場面設定は、当時の大学生のインテリへのあこがれと両者の社会的な距離の近さという、世相の断面を表しているように思われる。

この後は先生の遺書の引用で終わる。同じ下宿に住む親友Kと下宿のお嬢さんをめぐって争い、抜け駆け的にお嬢さんと婚約した直後にKが自殺、良心の呵責や利己的な自身の有り様に苛まれるこころの告白。あらゆる物事を悪い方に受け止め、自分を責め続ける。それを家族に打ち明けることもできずにひたすら孤立の泥沼にはまってゆく*1

遺書は良心の呵責が自殺の理由であるように示唆しながらも、明治の精神に殉じるのだと明言する。「私」の父親明治天皇崩御や乃木稀典の殉死の報に接して元気をなくすという伏線があるのだが、これは先生の本心なのか、それとも遺書においてなお事実関係は告白できてもこころのうちを告白できなかった先生の最期の強がりだったのか。

*1:この傾向は「門」の宗助と御米にもある。神経衰弱の経験がある漱石が当時を参考に描写したように思える。「門」と「こころ」の違いは支え合いの有無か。

門(夏目漱石)


宗助と御米夫婦は崖の下に建つ小さな借家でひっそりと暮らす。夫婦仲はとてもよいのだが、過去の事件がもとで、親戚付き合いも疎遠がちだった。子宝にも恵まれない。

そんな中、大学生の弟の小六が伯母からの学費の援助を打ち切られ、宗助が引き取ることになるが、学費までは宗助の給料では工面できず、小六は休学する。そのうち小六は飲酒を覚えて生活が荒み始める。御米も体調が勝れない。そんな中、宗助は父の遺産の屏風が縁で大家の坂井と仲良くなる。

前半では、過去の事件が明かされないまま、宗助と御米の生活が淡々と描写される。しかし中盤でそれが明かされる。宗助は大学に在学中、親友の安井と交際していた御米を略奪し、実家から義絶され、大学も退学していたのだった。「それから」の続編といわれるのはこのためである。

そして、何の因果か坂井から、坂井の弟と安井がモンゴルにおり、今度家に来るから紹介したいと持ちかけられる。宗助はとても安井に顔を合わせる勇気はなく、10日間禅寺に籠って雲隠れを決め込み、(ついでに?)救いか悟りか、何物かを求めようとする。

10日間籠ったくらいで何も得られたとは感じられなかったが、安井と顔を合わせずには済んだ。そのころには小六は坂井の書生として住み込み、宗助から学費を出す段取りがつき復学する。こうして嵐は一段落するが、宗助の気持ちがすっきり晴れたわけではない。

 御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、 「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

宗助と御米は、過去が負い目となり、悪いできごとを過去と結び付けて考えたり、将来に不安を覚えながらひっそりと暮らし続けてきた。今までも、これからもそうだろう。それでも二人は淡々と、仲睦まじく暮らしてきた。今までも、これからもそうなのだろう。そんな過去・現在・未来の連続性を強く感じさせる結末。

道草(夏目漱石)

外国留学から帰ってから大学に勤め、教育に、執筆に多忙な健三。妻とは喧嘩が絶えないばかりか、養父母が金をたかりに来て(養父母が二人がかりでにたかるのではなく、養父と養母がそれぞれたかりに来るのである)、気が休まらない。そうこうしているうちに妻の出産が近づきますます忙しくなる。そんな健三の毎日と心の動きが微に入り細に描かれている。

漱石自身の軌跡とこの小説の設定が酷似しており、漱石が自らの体験を書いたのではないかと見る向きもある。また、2ページ程度に小分けにされた小節100個程度からなり、明らかに新聞小説を一冊にまとめた体裁である(事実、初出は朝日新聞への連載)。妻はヒステリーだの娘は不細工だの産まれたばかりの娘が怪物みたいだのと新聞にぶちまけられては、家族も大変だ…。

野分(夏目漱石)

裕福で明るく結婚を控えた中野と、シャイで堅物で胸を病む高柳。二人は大学の文学部で同期だった友人である。そして、頑固さゆえに生徒(その中に高柳もいた)や同僚にいじめられて教壇を追われた後、今度は雑誌編集で糊口を凌ぎながら文壇に新たな一ページを開かんと刻苦勉励する(が、生活は苦しく妻を困らせている)道也先生。この3人の淡い交わりが描かれる。

道也先生が雑誌で、演説で語る文学論・明治社会論が熱い。特に、以下の演説の一節は、昭和初期の日本を見透しているようで興味深い。

およそ一時代にあって初期の人は子のために生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は自己のために生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は父のために生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立った。まず初期と見て差支なかろう。すると現代の青年たる諸君は大に自己を発展して中期をかたちづくらねばならぬ。(中略)
後期に至るとかたまってしまう。ただ前代を祖述するよりほかに身動きがとれぬ。身動きがとれなくなって、人間が腐った時、また波瀾が起る。起らねば化石するよりほかにしようがない。化石するのがいやだから、自から波瀾を起すのである。これを革命と云うのである。 

高柳が中野から借りた転地療養費を道也先生に 投げるように寄付する最後のシーン、高柳をそのような激情に駆り立てたものは何だったのか。道也先生を教壇から追い立てたことに対する悔悟か、道也先生が追い求める理想に対する熱に浮かされたような共感か。あまりに極端な行動を解しかねている。

女系家族(山崎豊子)

代々女系(長女が婿を取って家督を継ぐ)で続いてきた大阪船場の老舗問屋の相続ゴタゴタストーリー。これまで何度もドラマ化されている。

山崎豊子は、初期の大阪船場の商人モノと後期の社会問題や社会現象を題材にしたドロドロ劇が多いのだが、これは両者をミックスしたような作品。

船場の問屋矢島屋の主が病気で早世した。臨終直前に遺言書を番頭に手渡し、人払いまでしてこっそり愛人を呼んで最後の言伝をする。

妻はすでに亡く、実子は娘が三人。出戻りの長女・婿を取って矢島屋を継いでいる次女・まだ学生でのんびりした三女が莫大な遺産の相続者となる。この家系は、代々惣領娘が婿を取って続いてきた女系家族、主ももちろん婿養子で生前肩身の狭い思いをしていた。

葬儀後の親族会議で番頭が遺言書を読み上げ、そのわずかな曖昧さと、初めて明かされる愛人の存在により争続の幕が上がる。

争続は親族内にとどまらず、娘たちに取り入っておこぼれにあずかろうとする者、長年横領を働き遺産からも分捕りを企てる番頭、主の忘れ形見の出産に必死な愛人が入り乱れて壮絶な駆け引きが繰り広げられ、ようやく着地が見えたと思ったら、大どんでん返しで争続の幕が下りる。

争続劇には、人間関係の描写だけではなく、遺言・相続・不動産鑑定の実務がしっかり織り込まれており感心する。

また、毎回不規則発言で紛糾する親族会議に懲り、娘三人の個別撃破でシャンシャン親族会議を狙う作戦に切り替える番頭の姿が、大企業のサラリーマンにも似て哀愁を誘う。

物語は昭和34年の設定で、船場にもビルが増え、ビルの谷間に残された商家という描写がされている。相続後まもなく高度成長が始まり、娘たちや愛人も時代の流れに翻弄されたことだろう。彼女たちも今頃は80代、そろそろ人生を終えるころである。高度成長から平成不況に至る日本の中で、最後に笑ったのは誰か、「その後」の物語に想像を逞しくしてしまう。

幻影の盾(夏目漱石)

イングランドの伝説時代を題材に取った、ある騎士の戦いと恋の幻想的な物語。日本人が登場する漱石のメジャーな大作とは雰囲気が異なる。「倫敦塔」に近いか。 

見慣れない漢語が多い。辞書を引き引きゆっくり味読しよう。

プログラミングの心理学 25周年記念版(ワインバーグ)

1970年代のIT業界で、プログラマー心理的な側面とパフォーマンスの関係に焦点を当て、ひいてはあるべきマネジメントの姿を考察した古典。

それから25年たっての(1998年)著者のコメントが章ごとに丁寧に付されている。今でも通用するところが多いと思う。

以下、心に残った(響いた)箇所の備忘。

【目標の設定・達成】
  • メンバーが、下位の仕事を割り当てられたことに対する感情を抑圧すると、チームの努力が予想外に損なわれることがある。エゴレスプログラミングを行うと、個々のプログラマーがシステム全体の中で自分の役割を受け持っていると感じるため、そのような感情は和らげられやすい。
  •  グループの目標についてほんとうの合意に達するには、グループがみずから目標を設定するのが最良の方法である。
    • まず、目標の設定に参加することで、より明確に目標を理解できる。
    • 次に、グループのメンバーが目標に取り組む姿勢をあきらかにする機会がつくれる。いったんそのような姿勢をあきらかにすると、認知的不協和によって、目標を受け入れやすくなることがわかっている。
    • しかし、これらの要因は別にしても、目標の設定に参加すること自体が、個人がチームの目標を心から受け入れる決定要因となり、ひいては生産性の向上につながる。
  • 上層部を喜ばせるには、言われたことをなんでも引き受けるのが一番だと考えるかもしれない。しかし、最終的に上層部が求めるのは約束が守られることであり、それには、チームに約束を目標として受け入れさせることができなければならない。チームリーダーは、次のことを学ぶ必要がある。
    1. どれほど強く「約束」を要求しようと、上層部がほんとうに求めているのは「結果」である。
    2. チームの全員参加で設定した目標を追求した方が、はるかに容易に結果が得られる。
  • 降りる覚悟のあるリーダーだけが、ほんとうに成功する可能性がある。

 

【民主的グループのビルディング】

  • チームに入れるプログラマーを選ぶときは、移り変わる構造の中でうまく適応できる人物(支配的すぎず、受動的すぎず)を選ぶようにするべきである。
  • プログラマーの訓練にあたっては、有能なリーダーに従う方法と、自分がグループ内で最もリーダーに適任であるときに、リーダーシップの機会をつかむ方法を教えるべきである。
  • そして、チームのライフサイクルの間は、部外者はチームの民主的プロセスに介入しないようにするべきである。
  • チームの人選が終わって稼働し始めると、その上に立つマネージャが賢明であれば、チームの内部構造と構造の変化については「無干渉」の方針をとるはずである。

 

【グループ運営とリーダーシップ】 

  • 民主的なグループでは、リーダーシップ、あるいは影響力は、1人だけがもつものではなく、チームのニーズがその人の能力やアイディアに合えば、メンバーからメンバーへとめぐっていくものである。
  • 機能する民主的なグループの重要な要素は、メンバー全員が等しくリーダーシップを発揮することではなく、リーダーシップが外部からの圧力ではなく内部の現実によって決まることである。

 

【トラブル対処】

  • 「民主的」に組織されたチームは、(中略)メンバーを失ったショックにうまく対処できる場合が多い。
  •  逆に、民主的に組織されたチームにとって、新しいメンバーを受け入れるのは難しい場合がある。チームの構造の中に、新しいメンバーが占めるべき明確な位置がないからだ。逆説的なようだが、民主的に組織されたチームは、部外者にとって一見冷淡でよそよそしく感じられ、権威主義的なチームのメンバーは、新人には温かく親しみやすい場合がある。
  • もう1つ危機が生じやすいのは、メンバーの1人が作業分担をこなせないことに、ほかのメンバーが気づき始めたときである。民主的チームの場合、そのメンバーからほかのメンバーへ徐々に仕事が移っていく可能性が最も高い。中央集権型の強力なリーダーが1人いるチームの場合、問題のメンバーを辞めさせる可能性の方が高い。しかし、それで終わりではない。問題が認識される頃には、交代要員を確保して訓練する時間も十分になく、やめさせても何も解決しない場合がある。
  • 民主的グループの場合、能力はあるが仲間とうまくやっていけないメンバーの方が、まったくの能力不足より深刻な問題になることがある。

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花紋(山崎豊子)

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大阪河内長野の大地主の家に生まれた総領娘が恋に短歌に生きようとするも、あまりに封建的な家に縛られ、陰鬱のうちに過ごした一生を描く。

終戦直前の昭和20年6月、主人公は空襲を逃れ、兄の伝手で河内長野の大地主の御寮人様葛城郁子の家に身を寄せる。郁子は老婢と二人暮らしで、食糧難にもかかわらず豪華な食事に主人公は驚く。

ある日、主人公は納屋から男性と思われる弱々しい声を聞くが、郁子も老婢も空耳だろうの一点張りで、その後主人公が納屋に近づくことを阻止する。しかし、ある日男性が体調を崩し、郁子の指示で主人公は医者のもとに走るが、その甲斐なく男性は死亡する。

そんな不思議な日々も終戦で終わり、1年経ったある日、主人公は老婢から手紙を受け取る。手紙には郁子の死と、郁子の人生について話をさせてほしいという老婢の願いが記されていた。主人公が老婢を訪ねると、老婢は郁子が歌人御室みやじであったことや、郁子の一生を語り始める。

老婢が語る郁子の一生は、家庭内の多くの確執と陰謀に翻弄されたと言える(自身の妥協のない誇り高さが拍車をかけた側面もある)。この閉ざされたピラミッドの中で繰り広げられるドロドロ劇が読みどころで、「白い巨塔」や「華麗なる一族」にも通じる山崎豊子の真骨頂である。

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終戦時に中国に取り残された孤児と日本に帰還した父親の数奇な運命を、壮大なスケールで描いた感動作。

ソ連満州国国境に近い日本人開拓村にいた松本勝男は、1945年8月9日のソ連侵攻で両親と生き別れ、一緒に逃げた妹あつ子ともやがて引き離されてしまう。

実直な養父母に引き取られた勝男は中国人陸一心として育てられ、大学を出て北京鋼鉄公司の技術者として働き出す。しかし、学校では小日本鬼子といじめられ、文化大革命勃発後は日本人であることを理由に職場でも理不尽な弾圧を受け、挙句の果てに収容所に送られる。

実父耕次は引揚後東洋製鉄に勤め、仕事のかたわら生き別れとなった子供の消息を尋ねていた。昭和50年代になって上海の巨大製鉄所建設プロジェクトが始まり、耕次も東洋製鉄から派遣される。

この後の耕次・勝男(一心)・あつ子の運命は読んでのお楽しみ(だが、見当はつくだろう)。

山崎豊子の日中両国の取材の成果が凝縮されている。

昭和恐慌に端を発する事実上の棄民政策がもたらした悲劇の実相は胸に迫るものがある。また、中国に取り残された孤児の運命の多様さも教えられる。テレビで見る中国残留日本人孤児で訪日する人ばかりではない。養父母に虐待されそのまま亡くなった人、自分が日本人であることを知らない人、自ら中国人として生きる道を選んだ人もいる。帰還できたことが幸福とは限らず、2世・3世が怒羅権を結成し、日本が中国国内のマフィアの代理戦争の舞台と化していることは、本作では述べられていないものの周知の事実*1

また、上海製鉄所建設を巡る中国の苛烈な政争と腐敗、文化大革命で散々行われた吊るし上げ、収容所の実態など、中国現代史の闇も興味深い。

*1:マフィア化については警視庁公安部青山望 報復連鎖に詳しい

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