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こころ(夏目漱石)

高校の教科書にも載っている小説。教科書は後半の1/3に当たる「先生」の遺書が中心で、「先生」と「私」の出会いや「私」の家族の話は大半がカットされている。

大学在学中の「私」は、鎌倉のビーチでだいぶ年上の「先生」と出会う。先生というが無職であり、遺産があるせいかそれでも生活できている。学者肌のインテリ振りが「私」に尊敬の念をかき立てる一方、時折見せる厭世的でシニカルな言動や、親友の月命日にせっせと墓参りする行動が「私」の好奇心を刺激していた。

ちょうど「私」が大学を卒業する頃父親の持病が悪化し帰郷する。父親が衰弱しいよいよという頃、先生から自殺をほのめかす手紙を受け取り、「私」は東京行きの列車に飛び乗る。

今時、大学生と無職のインテリ中年が出会い、これほど親しくなるシチュエーションはなかなか考えにくい。何しろ、先生の手紙で親の死に目を放り出してまで帰京するのである(たとえそれが先生の自殺をほのめかす内容であったとしても)。この場面設定は、当時の大学生のインテリへのあこがれと両者の社会的な距離の近さという、世相の断面を表しているように思われる。

この後は先生の遺書の引用で終わる。同じ下宿に住む親友Kと下宿のお嬢さんをめぐって争い、抜け駆け的にお嬢さんと婚約した直後にKが自殺、良心の呵責や利己的な自身の有り様に苛まれるこころの告白。あらゆる物事を悪い方に受け止め、自分を責め続ける。それを家族に打ち明けることもできずにひたすら孤立の泥沼にはまってゆく*1

遺書は良心の呵責が自殺の理由であるように示唆しながらも、明治の精神に殉じるのだと明言する。「私」の父親明治天皇崩御や乃木稀典の殉死の報に接して元気をなくすという伏線があるのだが、これは先生の本心なのか、それとも遺書においてなお事実関係は告白できてもこころのうちを告白できなかった先生の最期の強がりだったのか。

*1:この傾向は「門」の宗助と御米にもある。神経衰弱の経験がある漱石が当時を参考に描写したように思える。「門」と「こころ」の違いは支え合いの有無か。

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