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野分(夏目漱石)

裕福で明るく結婚を控えた中野と、シャイで堅物で胸を病む高柳。二人は大学の文学部で同期だった友人である。そして、頑固さゆえに生徒(その中に高柳もいた)や同僚にいじめられて教壇を追われた後、今度は雑誌編集で糊口を凌ぎながら文壇に新たな一ページを開かんと刻苦勉励する(が、生活は苦しく妻を困らせている)道也先生。この3人の淡い交わりが描かれる。

道也先生が雑誌で、演説で語る文学論・明治社会論が熱い。特に、以下の演説の一節は、昭和初期の日本を見透しているようで興味深い。

およそ一時代にあって初期の人は子のために生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は自己のために生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は父のために生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立った。まず初期と見て差支なかろう。すると現代の青年たる諸君は大に自己を発展して中期をかたちづくらねばならぬ。(中略)
後期に至るとかたまってしまう。ただ前代を祖述するよりほかに身動きがとれぬ。身動きがとれなくなって、人間が腐った時、また波瀾が起る。起らねば化石するよりほかにしようがない。化石するのがいやだから、自から波瀾を起すのである。これを革命と云うのである。 

高柳が中野から借りた転地療養費を道也先生に 投げるように寄付する最後のシーン、高柳をそのような激情に駆り立てたものは何だったのか。道也先生を教壇から追い立てたことに対する悔悟か、道也先生が追い求める理想に対する熱に浮かされたような共感か。あまりに極端な行動を解しかねている。

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